
大渕 英輔
史上最年少タイで全米女子オープンを制した笹生(さそう)優花は、日本とフィリピン、2つの祖国に初のタイトルをもたらした。世界ランクでも畑岡奈紗を抜いて9位(2021年6月10日現在)に急浮上、一躍注目を集めることとなったが、彼女は母親の母国フィリピンで育ち、ジュニアの頃から海外を転戦した異色の経歴の持ち主。その強さの秘密は強靭な下半身にあった。
父娘二人三脚でつかみとった栄冠
全米女子オープンの表彰式が終わった後、グリーン上でほほ笑ましい光景が見られた。全米から集まった報道カメラマンによる、優勝トロフィーを手にした史上最年少チャンピオンの“撮影会”が始まった時だった。 その場所から少し離れた所にいた父・正和さんに笹生が目で合図を送り、一緒に写ろうと手招きした。涙で少し目を腫らしていた正和さんは、満面に笑みをたたえた娘と2人でトロフィーを抱え、晴れやかに記念の写真に納まった。 優勝後のインタビュー。笹生は「とにかく支えてくれた家族にありがとうと言いたいです。彼らがいなかったら、私はここにいません」と涙で感謝の思いを口にした。その言葉通り、日本女子3人目のメジャー制覇の偉業は、父と娘の“二人三脚”でつかみ取った栄冠だった。 笹生は2001年に母・フリッツイさんの母国・フィリピンで生まれ、4歳の時に正和さんの仕事の関係で日本に引っ越した。当初は日本語もあまり話せず、友達も少なかったため正和さんがゴルフ練習場に行くと、一緒に付いていった。練習場は幼い笹生にとって、父と楽しい時間を過ごせる“遊び場”のような所だったのだろう。 幼稚園に通っていた頃の将来の夢は「先生になること」。それがプロゴルファーに変わったのは8歳のとき。憧れのポーラ・クリーマーが全米女子オープンで活躍する姿を正和さんとテレビで見て、「世界一になりたい。メジャーで勝ちたい」と大きな目標を抱くようになった。
ゴルフの練習環境を求めてフィリピンに
クリッとした目を真っすぐに向けて「プロになりたい」と訴える娘に、本気の思いを感じとった父は、練習環境を整えるために、物価の安いフィリピンに戻ることを決意。 「うちはそれほどお金持ちじゃないですし、日本でずっと練習に通うのは難しかった」と笹生が小学2年の時に移り住んだ。 そこから、世界を見据えた父娘の厳しい練習の日々が始まる。それはトレーニングというよりも、日本風の鍛錬という言葉がふさわしいものだった。柔道や空手などの武道の経験者だった正和さんは、独学でゴルフの上達法を研究。まず下半身の強化が重要だと考え、両足に重りをつけることから始めた。 最初は数100gだったものを2kgまで増やし、練習時には常に身につけさせた。早朝に起床してランニング、ダッシュ、反復跳びなどの基本メニューを欠かさずに消化。それが終わってからはクラブを使った実践練習を行った。トータルの練習時間は12時間に及ぶこともあったという。 中学生以降になるとハードな練習に、さらに拍車がかかった。重りの入ったベストを着て坂道ダッシュを繰り返し、重りをつけての野球のノックやサンドバッグを使ったボクシングトレーニングなどで体幹を鍛えた。 まるで“スポ根漫画”のような練習漬けの毎日。だが、笹生はそれを当然のことのように受け止め、へこたれなかった。
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