栄光と挫折。競泳男子の萩野公介(26)=ブリヂストン=は、天と地を見たスイマーだ。異なる時代を取材した2人の記者が真実に迫る。前編は、なぜ泳げなくなったのか。
ブダペストで流した涙
黒のスーツに水色のネクタイを締めた22歳の青年には、王者の風格が漂っていた。今から4年前。2016年リオデジャネイロ五輪で金、銀、銅のメダル3個を獲得した萩野は東洋大を卒業し、億単位とされる所属契約を結んだ「ブリヂストン」の入社式に臨んだ。プロスイマーとして歩み始めたその表情は、自信に満ちあふれていた。
「思い描くプロスイマーの姿は勝ち続ける絶対的な強さ。まだ自分にはそれがない。速くなるだけでなく強くなりたい。(日本一を決める)日本選手権で出場する全種目の優勝は当たり前」
自国開催の東京オリンピックに向け、日本競泳界のエースとしての自負をのぞかせた。私が大阪社会部から東京運動部に異動した初日、取材で見た萩野の姿だった。いばらの道がその後に待ち受けているとは、予想もしなかった。
その10日後のことだ。17年4月13日の日本選手権男子400メートル個人メドレー。ライバルの瀬戸大也(26)=TEAM DAIYA=に大接戦の末、0秒01差で敗れた。15年6月に骨折した右肘をリオ五輪後に手術した影響もあり、終盤の伸びを欠いた。この負けをきっかけに、体と心の歯車が狂い始めていった。
ハンガリーの首都ブダペストで開かれた17年7月の世界選手権での姿が忘れられない。象徴的だったのが得意種目としてきた自由形。本来の滑らかなストローク(腕のかき)は見られず、動きはぎこちない。
男子800メートルリレーで第1泳者を務めたが、勢いなく6番手で次につなぐのがやっとだった。リオ五輪で52年ぶりの銅メダル獲得に貢献したリレー種目で上位争いに加われず、日本は5位に終わった。責任を感じたのか萩野はサブプールに戻ると両手、両膝を床につき、涙を流してうなだれた。仲間の肩を借りなければ動けないほど崩れ落ちた。
リオ五輪で頂点に立った400メートル個人メドレーは肉体、精神的にも負担が大きい種目で、王者は「キングオブスイマー」とたたえられる。その称号を手にしたはずの萩野が苦しんだ。
練習を重ねても右肘は「自分の体の一部とはすぐにはならなかった」。全盛期の泳ぎを追い求めるあまり、「自分で自分を追い詰めた」と心も乱れた。繊細な一面も併せ持つスイマーなのか。競技会では、名前をコールされてプールに登場しても、表情はどこか落ち着きがなく、目はキョロキョロとしていた。
東洋大時代から指導を続ける平井伯昌コーチは「練習でうまく泳げてもレースになると別人…
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