ロッテ佐々木朗希投手(19)が、27日のセパ交流戦・阪神戦(甲子園)に先発することが24日までに決まった。最速163キロ右腕として注目されるスター候補が、プロ2年目の春に初めての聖地へ。岩手・大船渡高時代はあと1勝で届かなかった「甲子園への道」を3回に分けて振り返る。今回は前編。

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佐々木朗希のうわさは、中3の秋頃には港町の草野球プレーヤーたちに広まっていた。すごくデカい中学生。140キロ投げるらしい。被災して引っ越してきた。私立じゃなくて大高(大船渡高校の略称)に行きたがっているらしい-。「ドラフト5位でも6位でもいいから、プロ野球選手になってほしいよな~。まだ気が早いか」。

大人たちの願いは決して絵空事ではなく、中学時点でその動向をチェックするNPB球団もあった。うわさ通り、佐々木は強豪私立校の誘いを断り、大船渡高校への進学を決意。野球仲間も誘った。晴れて一般受験で合格した。

類いまれな潜在能力を示したのが、1年夏の県大会だった。金ケ崎町野球場で行われた2回戦、盛岡北戦。両校関係者以外は、観客や報道陣もまばらだった試合。8回のピンチで救援登板すると「3年生のためにも0点に抑えたかった」とエンジン全開。1回3分の1を無安打無失点、3奪三振で締めた。常時140キロ台、最速は147キロをマークした。

日刊スポーツ東北版はまるまる1ページを使い「衝撃デビュー!」と報じた。日刊スポーツの取材に「中学の野球が楽しくて。その仲間と一緒に甲子園に行きたい」と地元校への進学理由をあらためて説明。将来のプロ希望については「今は考えていません。まずは甲子園に行くことです」と力強い返答をしていた。大会は次戦で登板なく敗れ「体を作って、甲子園を狙いたい」と悔しさをにじませながらも涙はなかった。

1年秋は県大会1回戦で敗退。佐々木は出場しなかった。就任直後の国保陽平監督は「試合を作るという意味では、現時点で2年生の方が上だった」としている。2年夏は県大会初戦の盛岡三戦で154キロをマークするなど、着実な成長をアピール。しかし「1番中堅」で出場した西和賀との3回戦で逆転負け。「あと甲子園のチャンスは2回あるので、自分で引っ張って甲子園に導きます」と決意していた。

2年秋は県大会3位決定戦で惜敗し、東北大会出場を逃した。それまでに全4試合を完投。左股関節痛をこらえながら、8回途中から懸命にリリーフした。この大会で157キロをマーク。左足を高く上げる現在のフォームにより近づいた。県大会4位で終わるも、21世紀枠としての翌春センバツ出場に可能性を残した。しかし県の候補校には推薦されず、甲子園出場のチャンスは残り1回となった。(つづく)【金子真仁】