東京五輪3日目 スケートボード男子ストリート ( 2021年7月25日 有明アーバンスポーツパーク )
新競技のスケートボードは最初の種目となる男子ストリートが行われ、世界ランキング2位の堀米雄斗(22=XFLAG)が37・18点で新競技の金メダル1号となった。
堀米の父・亮太さん(46)は自宅近くの河川敷をサイクリング中に、同僚の電話で朗報を聞いた。これまでの大会と同様に「心臓に悪いし性に合わない」とリアルタイムで試合を見ることはしなかったが、再放送を見ながら「良くやった。もう別世界の人間みたいだよ」と声を弾ませた。
堀米の強さは亮太さんの経験に基づいた英才教育にある。「最初は雄斗にスケートボードをやらせるという口実で自分が滑りにいっていたんですよ。奥さんにゆっくりしとけよって」。懐かしそうに振り返る亮太さんは、息子に夢を託すと決めた時から徹底的に基礎を叩き込んだ。
スポンサーからサポートを受けるため、当時も子供を小さいうちから大会に出場させる親は多かった。それでも堀米は競技を始めた6歳から約2年間、試合とは無縁の練習漬けの日々を送る。その方針は亮太さん自身のスケボー人生の後悔から来ていた。「僕は基礎を無視してどんどん技を覚えていってしまった。運動神経が良かったばかりに乗れちゃったんです」。その「中途半端な乗り方」で成長が止まった苦い経験がある。息子に同じ轍(てつ)を踏ませたくなかった。
小学校卒業までは半円上の斜面を滑るバーチカルだけ。目的はストリートに必要な脚力の強化と、エアに対する恐怖心の克服だった。加えて堀米が通った足立区のパークのバーチカルは表面が古く、横滑りしやすいかった。「常に良いところに乗っていないとツルンといっちゃう」と亮太さん。どんな技でもぶれない軸は、バーチカルで養われた。
堀米を幼少期から知る関係者は「昔からスケートボードに乗れていた」と口をそろえる。“乗れている”という言葉はこの競技独特の表現で「技ができても板に乗れていないと格好悪い」(亮太さん)センスのようなもの。これにも良太さん自身の経験が生きている。息子にストリートの練習はさせなかったが、片足で地面を蹴って前進するプッシュでの移動はさせていた。若い頃は埼玉から渋谷までプッシュで移動したという亮太さんは「今だと怒られちゃうけど」と笑いつつ、「街中で乗ること。これが一番板に乗れるようになるから」と秘訣を明かした。
中学で親の手を離れた息子は、高校卒業後に単身で渡米した。18年に最高峰の大会・ストリートリーグ(SLSを制止)を制すと、自身の名を冠したプロモデルデッキもリリース。昨秋にはロサンゼルスに豪邸を買って「アメリカでプロになって大きな家を建てる」という夢を実現し、今年には歴史あるスケートボード雑誌「スラッシャー」の表紙を日本人として初めて飾った。トッププロの仲間入りを果たした堀米の成長に亮太さんは「ここまでいくとは全然思っていなかった」と目を細める。そして、五輪初代王者の座を手にしても、満足しないことは父親が一番分かっている。「まだまだやりたいことはいっぱいあるだろうから、楽しんでもらいたいですね」。終わりがない夢に向けて歩み続ける息子に、エールを送った。
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