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【甲子園】智弁和歌山・高嶋奨哉、 祖父、父を超える甲子園2安打 「史上最遅の初戦」制し8強 - スポーツ報知

◆第103回全国高校野球選手権大会第11日 ▽3回戦 智弁和歌山5―3高松商(24日・甲子園)

 智弁和歌山が史上最も遅い“初戦”を制し、13年ぶりに8強入りした。甲子園歴代最多68勝の高嶋仁名誉監督(75)の孫・奨哉三塁手(3年)が「選手での祖父、父、子の甲子園3世代出場」を果たし、2人を超える2安打をマーク。“高嶋家初校歌”を聖地に響かせた。初出場の京都国際は、森下瑠大(2年)と中川勇斗(3年)のバッテリー弾など、府勢74年ぶりの3本塁打で同15年ぶりのベスト8に進出した。準々決勝は京都国際―敦賀気比(福井)、石見智翠館(島根)―智弁和歌山の組み合わせに決まった。

 昭和から平成、そして令和。“甲子園3世代安打”が時代を超えて実現した。智弁和歌山の高嶋奨哉は2回、内角高め直球を詰まりながらも右前に運んだ。8回にも右前打を放ち2安打。「甘い球を逃さないようこだわっていたので良かった」。打線は計11安打5得点で高松商に競り勝った。

 “高嶋家初校歌”だ。祖父の仁氏と父・茂雄さん(46)はそれぞれ2度夏の甲子園に出場し、ともに1安打で未勝利。父祖を抜いた孫の姿をネット裏で見守った仁氏は「勝ってくれたのでやれやれです。『打ったで~』と威張るんじゃないですか」と笑った。

 様々な縁が重なった。中谷仁監督(42)は智弁和歌山OBで、高嶋監督のもと97年夏に優勝。プロ引退後、阪神タイガースジュニアのコーチとして指導したのが小学6年の恩師の孫だった。奨哉はその後「小さい頃から追いかけていた」名門に入学。再び中谷監督の指導を受けた。「小さい頃から優しくて、野球では厳しいのが信じられない」という祖父からも「甲子園は楽しくて怖いところ」と助言を受け、聖地の土を踏んだ。

 “史上最遅初戦”だった。度重なる順延と、宮崎商の出場辞退による不戦勝で、初戦が当初の14日から10日もズレ込んだ。対外試合は和歌山大会決勝以来28日ぶりだった。晴れた日は自校で実戦練習し、23日は大会本部の配慮で甲子園で30分間、汗を流した。中谷監督は「ものすごく大きかった」と感謝。「試合間隔が空いているように見えず、はつらつとプレーして、本当に頼もしく見えた」と夏40勝目、13年ぶりの8強進出に目を細めた。

 昨年12月に指導を受けた、マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏(47)も見守っている。中谷監督は「いつも見てるよというメッセージはもらっている」と明かした。イチロー氏に「高嶋です」とあいさつし、「知っとるわ」と返されたという奨哉は「80点くらい」と自己採点。「85点!」と甘々評価の祖父にさらなる活躍を見せる。(南 樹広)

 高嶋奨哉

 ▽生まれ 2003年12月19日、和歌山・紀の川市生まれ。17歳。

 ▽データ 173センチ、76キロ。右投右打。50メートル走6秒5、遠投85メートル。握力は右50キロ、左48キロ。

 ▽球歴 二上小2年から軟式の「二上スポーツ少年団」で始める。4年から「根来ファイターズ」に所属。6年時にタイガースジュニア選出。現チームメートの徳丸天晴、高橋令、石平創士らがいた。岩出二中では硬式の「粉河シニア」でプレー。3年春に全国大会出場。智弁和歌山では1年秋からベンチ入り。2年夏の甲子園交流試合に出場。

 ▽趣味 映画

 ▽好きな言葉 捲土(けんど)重来

 ▽将来の夢 プロ野球選手

 ▽家族 両親と姉

 ◆父子3代出場 智弁和歌山・高嶋奨哉は祖父・仁(63年夏、64年夏=長崎・海星)、父・茂雄(91年夏、92年夏=智弁和歌山)に続く甲子園出場。21年春の県岐阜商・松野匠馬(今夏も出場)以来6組目(8人目)で、3代そろって安打を記録したのは藤村富美男―哲也―一仁と賢、藤村富美男―雅美―光司に次いで3組目(4人目)。

 ◆大会通算勝利 智弁和歌山が勝ち、通算40勝目(22敗=宮崎商戦の不戦勝含む)。県岐阜商を抜いて単独8位に浮上。また、春夏通算67勝目(34敗=同)は早実を抜いて単独9位に。1位はともに中京大中京(夏78勝、春夏136勝)。

昨年12月にアマ初指導

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