早大ラグビー部監督として3度の大学日本一を果たし、日本代表監督や日本ラグビー協会の名誉会長などを務めた日比野弘(ひびの・ひろし)さんが14日、死去した。86歳だった。
東京都出身。都立大泉高から早大に進んだ。現役時代は俊足ウイングとして活躍し、日本代表にも選ばれた。1970年度に早大ラグビー部監督に就任。4度にわたり指揮を執り、70、73、74年度にチームを全国の頂点に導いた。70年度には当時、大学と社会人の全国制覇同士のチームで戦っていた日本選手権で、新日鉄釜石を破る快挙も成し遂げた。
76年度と82~84年度、87~88年度には日本代表を指揮。83年の遠征ではウェールズ代表と24―29の大接戦を演じた。
81年に早大の専任講師、87年には早大教授に就任し、グラウンドと同時に教壇でも力を注いだ。日本ラグビー協会では理事や副会長、会長代行を歴任。2011年ワールドカップ(W杯)日本大会の招致委員会で委員長も務めた。大会は実現しなかったが、19年W杯日本大会開催の道筋を作った。
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