日本相撲協会は24日、理事会を開催し、第71代横綱鶴竜(35=陸奥)の現役引退と年寄「鶴竜」襲名を承認したことを発表した。鶴竜は5場所連続休場中で、5月の夏場所で再起を懸けるはずだったが心身共に限界を迎えた。01年九州場所で初土俵を踏んでから20年。歴代10位の横綱在位41場所、6度優勝の横綱が土俵人生に幕を下ろした。横綱の引退は19年初場所の稀勢の里以来。最高位は白鵬だけとなり、12年秋場所以来9年ぶりに一人横綱となる。
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大相撲春場所11日目。午後1時の開門に合わせて観客が会場入りし始めた頃、協会が鶴竜の現役引退を発表した。昨年11月場所後に横綱審議委員会(横審)から「注意」の決議を下されるも、1月の初場所を腰痛で休場。春場所では進退を懸けるはずが、初日直前の稽古中に左足を負傷して一転、休場。当初は現役続行の意思を強く示していたが、師匠の陸奥親方(元大関霧島)は「思うように治らなかった。気持ちは切れていなかったけど、体が駄目だった。本人が決めたこと」と引退理由を明かした。
実際は気持ちも切れていた。白鵬が3日目に途中休場した際、横審の山内昌之委員が「横綱の番付が下がらないのは長期休場や成績不振と関係なく、無期限に地位にとどまれることを意味しない。2日勝って休場したのだから、余力を持って今場所中に進退を決してほしいというのが個人的な意見」などと発言。白鵬に対してのコメントが、自身の胸にも刺さった。
部屋関係者は「夏場所に出る気満々だった。最後は土俵に上がって終わりたがっていたけど、周囲から厳しい声があったのも事実。最後は横綱が決めたことだけど…」と話した。鶴竜は、この日も稽古場に姿を現したが、体が思うようには動かなかった。周囲からの厳しい声も重なり、突然の引退を決心したようだ。
最後の取組は、昨年7月場所初日の東前頭筆頭の遠藤戦となった。右裾払いをかわされ、体勢を崩して尻もちをつく「腰砕け」で負けた。再び土俵に立つことはかなわず、無念の引退。横綱は引退後5年間、自身のしこ名で年寄を名乗れることから、鶴竜親方として協会に残って、年寄名跡取得を目指す。後進の指導にあたる前に、まずは25日に行われる引退会見で20年分の土俵人生を語る。
◆鶴竜力三郎(かくりゅう・りきさぶろう)本名・マンガラジャラブ・アナンダ。1985年(昭60)8月10日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。バスケットボール、レスリングなどを経験して01年9月に来日し、同年九州場所で初土俵。06年九州場所で新入幕、12年春場所後に大関昇進。初優勝した14年春場所後に横綱昇進。19年9月に師匠の先代井筒親方(元関脇逆鉾)が死去し陸奥部屋に移籍。優勝6回。三賞は殊勲賞が2回、技能賞が7回。得意は右四つ、下手投げ。186センチ、154キロ。家族は妻と1男2女。血液型A。
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