都内で会見、英国に2年間の指導者留学の計画も明かす
柔道男子73キロ級で五輪連覇した大野将平(旭化成)が7日、都内で会見し、今後はプレーイングコーチとして就任することを表明した。3連覇のかかる2024年パリ五輪の代表選考には参加しないが、「引退」「第一線を退く」という表現を強く否定し、「柔道家に引退はない。一生修行だと思います。小さな枠組みで捉えていただきたくない」と説明。16年リオ五輪、21年東京五輪を制した31歳の絶対王者は、指導者として2年間の英国留学の計画していることを明かした。
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日本が誇る最強柔道家が決断を下した。スーツ姿の大野は一礼して会場に入室。壇上でも綺麗な礼を見せた。今後の活動に加え、東京五輪後に揺れた胸中、決断に至った背景などを明かした。
「来年度よりJOC(日本オリンピック委員会)の海外研修制度を利用して2年間、イギリスに行くことを報告します。海老沼匡先輩が先に行っているのもありますし、私自身もいずれ海外に行くと予想していましたが、いつでも行けると思っているからこそ行かないような気もしていました。中学入学で親元を離れて苦労したので、セカンドキャリアで『もう一度、自分自身に苦労を』と思って決断しました。
これは私自身の考えですが、柔道家に引退はない。一生修行だと思います。引退とか、一線を退くという表現、小さな枠組みで捉えていただきたくないです。柔道人生は長い。『終わり』となるとお互いに寂しいと思います。実際には、所属の旭化成にお願いしてプレーイングコーチとして海外に行かせていただきます。英語、指導者としての勉強が必要だと思います」
東京五輪後に出場したのは、体重無差別で行われる昨年4月の全日本選手権だけ。稽古は続けていたが、自身の階級では復帰していなかった。国際大会派遣の前提となる全日本柔道連盟の強化指定からも外れ、去就が注目されていた。今年になり、JOCの23年度スポーツ指導者海外研修事業に申請。将来的に大会に復帰する可能性を残しながら、英国留学で指導者としての経験などを積むという。
「試合は生きるか、死ぬか、命を懸けるという考えです。それは変わらない。軽はずみに白い歯を見せて試合に出ることは考えられない。ですが、ヨーロッパでそういったものと違う柔道の楽しさ、違った関わり方が見えてきたら、もう一度試合に出るかもしれないです。柔道を辞めるつもりではありません」
山口出身。中学で上京し、柔道私塾「講道学舎」に入門した。天理大4年時の13年世界選手権で初優勝。「正しく組んで正しく投げる柔道」を体現し、東京五輪では日本柔道7人目の連覇を達成した。絶対的な強さのみならず、勝っても感情を表に出さない振る舞いや礼節などで世界からも敬意を集めていた。
ここまで様々な葛藤があったという。
「リオ五輪までは73キロ級に世界王者が多くいた。先輩方の背中を追って金メダルを獲れた。気が付いたら背中を追いかけるライバルがいなくなって、そこから孤独を抱えて日々の稽古、トレーニングで身も心も削ってやっていました。やはり、私自身が強くなった一番の要因は、日本代表での10年で毎日、毎週、同じ日々を繰り返してきました。繰り返すことというのは私だけにしかできないことではなく、誰もができることです。
『人間、易きに流れる』と言いますが、私がそれを継続することで自分を柔の道の深き所に連れて行ってくれる唯一のものだと思いました。才能があったわけでも、特段優れていたわけでもなかった自分ですが、柔道の王道を歩みたいという純粋な心で名門で柔道を学んで五輪2連覇できました。
東京五輪前はよく言わせていただいたけど、東京五輪には私が一番縁のある選手だと思っていました。自分にプレッシャーをかけて、自分がラストサムライだと思って戦っていた。(金メダルで)それを実現できたことが一番の誇り。日本柔道を体現できた思います。
パリ五輪は『もう1年半後』というのが率直な感想です。実際は今も稽古もトレーニングを続けている中、同じ階級に10年間いて、やりたい選手がいなくなったのが大きい。東京五輪を終えて1年間、休ませていただいて、国際大会(の代表)にも選ばれて、本当に心の底から休めてはいなかったと思います。東京五輪を経験させていただいて、心が燃える大会が出てこなかったのが正直なところです。
日本柔道は五輪の金メダル、世界王者になるのが当たり前であり、そのハードルの高さをやりがいにやってきた反面、なかなか評価されない切なさも感じていました。我々は柔道の金メダリストが大勢いる中でその中の一人になるという感覚。ヨーロッパの柔道熱は凄いものがあり、試合や合宿では熱烈に歓迎されます。私自身、まだ人気があるうちに飛び込んでそういったものを感じたい。
国際大会の盛り上がりの裏側、運営を又聞きだったけど、現地にいかないとわからないことがある。そういうことを聞きたい。いずれは柔道を通して、国際的な人材になりたいという想いです」
日本柔道史に歴史を刻んだ男は、独自の道を歩み、後進の育成にも力を注いでいく。
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