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家族を励みに駆け抜けた24年間…パラスキー界のレジェンド新田佳浩、集大成の北京<距離男子立位> - 東京新聞

男子スプリント・フリー立位準決勝 滑走する新田佳浩=張家口で(共同)

男子スプリント・フリー立位準決勝 滑走する新田佳浩=張家口で(共同)

 【張家口=高橋淳】北京冬季パラリンピックで、ノルディックスキー距離男子立位の第一人者、新田佳浩(41)=日立ソリューションズ=が9日、スプリント・フリーに出場し、集大成と位置付ける大会で最後の個人種目を終えた。初出場の長野大会から24年。「いいときも悪いときもあった」。いつだって家族が原動力だった。

 この日のレース後、多くの顔が頭に浮かんだ。妻、2人の息子、両親、祖父母、姉…。「本当にいろいろな人に支えられていると感じ、パラリンピックの雰囲気を味わえて良かった」。感極まった。

 3歳で農耕機に巻き込まれ、左前腕を失った。健常者に交じってスキーをしていた中学3年の時、競技関係者にスカウトされた。17歳で迎えた長野大会の後、農耕機を運転していた祖父のとおるさんが自らを強く責めていると、父から伝え聞いた。「おじいちゃんの負い目をなくしたい」。祖父に金メダルをかけることが目標になった。

 2002年ソルトレークシティー大会は銅、06年トリノ大会はメダルなし。パラスキーチームがある現在の所属先へと環境を変え、肉体改造に取り組んだ。10年バンクーバー大会で2つの金メダルを手にした。念願をかなえた2年後、達さんが他界する。心にぽっかり穴があいた。

 練習に身が入らない。見かねた妻の知紗子さん(45)から「やれることは全部やったの」と詰め寄られた。14年ソチ大会はメダルを逃した。

 失意の中、成田空港で長男大翔だいと君(11)から手作りの金メダルをもらう。知紗子さんはのおなかには小さな命が宿っていた。「今度は子どもたちにメダルを」。新たな目標を胸に、「世界一」と言われるフォームに磨きをかけた。18年平昌大会、妻と大翔君、次男の健翔けんと君(7つ)の目の前で表彰台の真ん中に返り咲いた。

 「障害があることで隠したい存在ではなく、自慢のお父さんと思ってくれることが励み」。子どもの成長をエネルギーに今大会を駆けた。「いいことも悪いこともあったけど、すごい幸せでした」と再び目を潤ませた。13日のリレー種目に出る可能性を残しているが、子どもたちにはこう伝えるつもりでいる。「頑張ってきて良かった」

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