新年早々に能登半島地震が起きました。ドジャース大谷翔平投手が被災地支援のため、球団と共同で100万ドル以上(約1億4500万円)を寄付しました。
昔から大リーガーは、積極的に支援活動を行っています。背景にはプエルトリコの“至宝”ロベルト・クレメンテ外野手の存在があるからです。
1954年からパイレーツ一筋18年間で通算3000安打をマーク。ナ・リーグ首位打者4回、MVP1回、12年連続ゴールドグラブ賞。走攻守の3拍子がそろった、最高のパーフェクトプレーヤーでした。
ところが、72年大みそかの夜、ニカラグア大地震の被災地へ支援物資を運ぶ途中、飛行機が墜落し、38歳の若さで亡くなりました。大リーグ機構はクレメンテをたたえて、野球での活躍に加えて社会貢献に尽力した選手に「ロベルト・クレメンテ賞」が贈られるようになりました。
それ以来、大リーガーはクレメンテの遺志を継いでさまざまな支援活動を行い、積極的に慈善活動に関わることが一流プレーヤーの証しとなっています。それは日本人選手にも多大な影響を及ぼしています。
2011年、当時マリナーズのイチロー外野手は、東日本大震災の義援金として1億円を寄付しました。00年には東海豪雨で被害を受けた愛知県に、救援物資として1300万円相当の衣類などを寄付。1998年には神戸市の震災復興のためとして1000万円を送るなど、積極的な社会奉仕を行って来ました。
11年、当時アスレチックスの松井秀喜外野手も、東日本大震災の被災者へ5000万円を寄付しました。04年にはスマトラ沖地震の被災地復興で5000万円を寄付したほか、07年能登半島地震の災害義援金として1000万円を送るなど被災地支援の活動を行って来ました。
11年、当時レッドソックスの松坂大輔投手は、東日本大震災の義援金として100万ドルを寄付しました。その前年から1奪三振につき500ドルの三振基金を開始。16年熊本県藤崎台県営野球場の復旧支援のため1000万円の義援金を寄付。17年九州北部豪雨災害被災地支援の一環として500万円を寄付など、積極的に支援を行って来ました。
11年、当時日本ハムのダルビッシュ有投手も東日本大震災で5000万円を寄付しました。翌年のメジャー移籍後も、17年ドジャース時代に米テキサス州を襲った大型ハリケーンの被災者支援のため、前所属球団のレンジャーズを通じ10万ドルを寄付。また、「ダルビッシュ有子ども福祉基金」を設立し、公式戦で1勝するたびに出身地の大阪府羽曳野市に10万円を寄付するなど、社会貢献活動を続けています。
20年、当時ヤンキースの田中将大投手は、新型コロナウイルス感染防止対策支援として日米で総額3700万円を寄付しました。21年の楽天復帰後も、静岡県熱海市の伊豆山土砂災害支援を目的としたチャリティーオークションを行うなど、さまざまな慈善活動に取り組んでいます。
今回の能登半島地震では、大谷が迅速な対応を見せました。しかも、昔から日本と友好関係にあるドジャースと共同で、桁違いの寄付。いまや世界のスーパースター、大谷ならではの素晴らしい行動だと思います。
昨年11月には日本全国の小学校などに、1校につき3個ずつのジュニア用グラブを約6万個も寄贈しました。単純計算でも推定6億円もの費用を負担し、大きな話題となりました。メジャーで「もう一つのMVP」とたたえられ、すでに大谷が2度受賞しているMVP以上の価値とも言われるロベルト・クレメンテ賞。日本人で初めて受賞する日が、近いかもしれません。
【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)
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