東京ドームに「デ・ハポン」の大歓声が響いた! IWGP世界ヘビー級選手権で挑戦者・内藤哲也(41)が、王者SANADA(35)を下して初の戴冠を果たした。
最後はスペイン語で「運命」を意味する必殺技デスティーノで決着。試合後にハウス・オブ・トーチャー(H・O・T)の乱入にも見舞われたが、SANADAの助けを借りて難を逃れ、最後はファンとともに声を張り上げた。昨年12月23日に選手兼任で新日本プロレスの社長に就任した棚橋弘至(47)はNJPW WORLD認定TV選手権試合で、16度防衛中の王者ザック・セイバーJr.に勝ち、「社長1勝」「社長初タイトル」を得た。
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待ちに待っていた瞬間だ。客席のファンからの視線を一身に集めながら、マイクをつかんだ内藤が声を上げた。「今日、オレが一番楽しみにしていたのは4年前の忘れ物、ここ東京ドームで大合唱。皆さまも大合唱しに来たんですよね?」とあおるとファンも待ち切れない様子。会場全員で「BUSHI、ヒロム、鷹木、ティタン、陽太、イ(アンド)内藤。ノス・オトロス・ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン!(オレたちは日本の制御不能なヤツら)」と声を合わせて叫んだ。
20年大会ではオカダ・カズチカを下した内藤が「デ・ハポン締め」をしようとしたところ、対抗勢力の乱入でできず。ようやくこの日、念願がかなった。
死闘を繰り広げた2人の因縁は05年までさかのぼる。新日本プロレス入団テストで内藤は合格。一方、不合格だったSANADAは他団体を渡り歩きながら新日本にたどりつき、1度は内藤の「ロス・インゴ」に加入。しかし関係を絶ち、ついに東京ドームで2人でのタイトル戦が実現した。
途中、SANADAがデスティーノ、内藤がデッドフォールと、それぞれ相手の得意技まで繰り出す意地の張り合い。最後は内藤がバレンティアからのデスティーノで粘る相手を振り切って勝利した。
試合後、EVILとディック東郷のH・O・Tコンビの襲撃を受ける波乱が起きた。EVILから憎々しい表情で「オマエに大合唱なんかやらせねえんだよ! 第8代IWGP世界ヘビー級チャンピオンは、このオレなんだよ!」と宣戦布告されるも、最後の力を振り絞ったSANADAに救われた。内藤はかつての盟友に感謝の言葉をかけてから「デ・ハポン締め」。再び会場を沸かせた。
リングを降りた内藤は「ずっと目標にしてた東京ドームでの大合唱だったんだけどね、声がかれてしまって、いまいち思いっきり叫べなかった」と苦笑い。それでも「次の目標ができた」とし、大ファンでもあるプロ野球広島の本拠地マツダスタジアムや地元足立区の東京武道館、デビュー地・草加市スポーツ健康都市記念体育館と、今後「デ・ハポン」を行いたい場所を次々と挙げていった。
最後は「オレも疲れたから、眠いから。明日も試合でしょ。もう早く帰って寝たいよ。また気が向いた時に質問を受け付けるから。その時までトランキーロ(スペイン語で落ち着け)、あっせんなよ」。質問を受けずにドームを後にした。【千葉修宏】
◆内藤哲也(ないとう・てつや)1982年(昭57)6月22日生まれ、東京都足立区出身。05年12月に新日本に入門。06年5月デビュー。13年8月、G1クライマックスで初優勝。メキシコ遠征から戻った15年に「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」を結成し、大ブレーク。16年4月にIWGPヘビー級王座初戴冠。23年は2月に武藤敬司の引退試合の相手を務め、夏のG1を制覇。得意技はデスティーノ。プロ野球広島の大ファンで、シーズン中は入場直前までスコア速報をチェックする。180センチ、102キロ。
【新日本】IWGP世界ヘビー級選手権SANADA-内藤哲也など/東京ドーム大会ライブ速報
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